ACCU識字教材開発普及事業の成果と限界
 タイ北部チェンライ市のさらに奥,ラオス,ミャンマーとの国境地域にラフ族やアカ族の村を訪ねた時,タイ教育省がACCUの識字教材を翻訳し作成した「総合農法」のポスターがないことに少し落胆し,同時に,いかに優れた農法とはいえ,山岳地帯では無縁のものだと納得もした。
 インドの東部オリッサ州の識字クラスでは,デリーでACCUの教材をもとに作られたヒンディー語の小冊子「稲の病気の予防」は使われていなかった。オリッサ州で使われているオリヤ語が,文字も話し言葉もヒンディー語と異なるから当然であるとはいえ,何か方法があれば稲作地帯の広がるこの地域ではこの小冊子が役立つだろうにと少し歯がゆい思いもした。
 1981年に開始したACCUの識字教材開発普及事業は,ユネスコをはじめとする国際機関及びアジア諸国から,アジアの教材製作の質・量両面での向上に大きく寄与したと高い評価をいただいている。
これまで同事業では58種の英語版のモデル教材を開発した。モデル教材は西はイランから東はパプアニューギニアまで,北はモンゴルから南はインドネシアまでを範囲とするアジア19か国の34言語に翻訳され,それぞれ独自のイラストや内容の変更を盛り込み,各国語版として開発されてきた。その総数は400種を下らない。各国語版1種の製作部数は少ないところで2000部,多い場合50万部を数える。各国で作られた教材の総印刷部数は,ざっと400万部にのぼる。しかし,これらの教材を必要としている非識字者の数は,アジア地域で6億人を超えている。一人に一冊,それらの人びとの暮らす文化や話す言語を反映した教材を届けるには,これまでの,ACCUやユネスコから各国へ,国の中央レベルから各州・県へ,県から郡・村へというトップダウンの流れでは限界がある。冒頭のタイ,インドの例のように,学習者が本当に必要とする識字教材の質・量の絶対的不足は,残念ながらこの20年の教材開発普及方式では充分には解決されなかった。

「もの」から「知恵」の普及へ
 「識字教材製作は中央の一握りの専門家に任せる」という考えは,アジア諸国でこれまで当たり前とされてきた。教材の内容の決定や含める言葉の吟味・選択,イラストや写真の準備は確かに誰にでも簡単にできる仕事ではない。中央の政策決定者や教材開発専門家の誰の目にも一定のスタンダードを持つ教材の開発は,優れて専門性を要する。しかしながら,使う側の視点に立った時に良いとされる識字教材の条件は,少し異なる。その多くが農村地域に暮らし,固有の文化と,時には独自の言語を持つ非識字者にとっては,教材の完成度よりは,むしろ多少粗雑ではあっても実際の生活に役立つ内容を扱っていること,教材の中で使われる言葉は,そこで話されているものであることはもちろん,自分たちの読み書き能力に見合った難易度のものであること,イラストは現地の衣食住等の文化をなるべく反映したものであることが重要なのである。すなわち,非識字者にとっては,素材や仕立てには多少目をつぶってでもお仕着せの「レディーメイド」より,身丈にあった「オーダーメイド」が必要とされる。この厳しい条件は,学習者が農業などの仕事を持つ成人であり,学校と異なり拘束性のない識字クラスに継続して来てもらうためには,教材を含む学習自体が生活の向上に役立ち,楽しく,分かりやすいことが前提となることからくる。
 それでは,この条件を満たす知識のあるものは誰か。それは,デリーなどの首都に位置する中央官庁の机に座っている「専門家」ではなく,学習者と直に接している識字教師や村の知恵者,更には学習者自身である。現場にいる者たちが自らの教材を自らの手で作ることができれば,教材の「質・量の絶対的不足」の解消に向け大きな一歩となる。
 このアジアの新しい共通認識は,1999年に東京で開催され,18か国20人の政府高官が出席した「ACCUアジア・太平洋地域識字事業企画会議」で議論され,強い勧告として形になった。勧告の内容は"Process"rather than "Products",すなわち各国の村々まで質の高い教材を普及するためには,「もの」だけではなく,ACCUやユネスコに蓄積された「知恵」も普及し,現場で働く識字教師や学習者自身に教材づくりの力をつけてほしいというものであった。

「作り方手引き」「イラスト素材」「モデル教材キット」3点セットの開発
 ACCUの識字教材共同開発事業の方向性の大きな転換を促す勧告から2年が経った。その間さまざまな会議やセミナーで聞かれた各国の反応は,ほとんどが同勧告の内容を支持するものであった。言葉を替えながらも,求められていたことは,現場の識字教師に対し,教材開発の「ノウハウ」と現場で書くのが難しいイラストの「素材」と良い教材の「見本」を普及することであった。教材開発の場所自体を中央から村々に移す考え方は,ユネスコが強く進める,コミュニティー学習センターに識字や継続教育の立案・実施のイニシアチブを取らせる事業の考え方とも合致した。そして,ACCUの企画した「成人教育教材制作ハンドブック」,「識字クリップアート」開発事業はユネスコとの共同開発の形を取り,財源を「日本政府識字信託基金」に求めることとなった。
 「見本」については,20年の間に開発されたACCU識字教材58種の中から特に評判が高く,多くの国で自国語版の作られた29種を内容別に4つのカテゴリーに分け,使いやすいよう封筒に入れ,「識字教材キット」としてまとめた。
 3点セットの具体的な使われ方としては,たとえば次のような設定が考えられる。

〈ケース1〉
化学肥料の過度の使用により地味が低下した農村で「堆肥の作り方」を普及したい。
1.「キット」中の関連教材「堆肥の作り方」(小冊子)を参考見本とする。
2.「ハンドブック」で小冊子の作り方を参照する。
3.「クリップアート」から作りたい教材の内容に合うイラストを探し、小冊子に転用する。

〈ケース2〉
多言語多文化国家が国を挙げて識字クラスを中心に「寄生虫駆除」のキャンペーンを行いたい。
1.「キット」中の関連教材「寄生虫の駆除」(ポスター)を参考見本とし、最も広く使われている言葉で自国語版を作る。
2.同自国語版ポスターと「ハンドブック」のポスターの作り方と「クリップアート」の関連イラスト数点を各県・地方の識字クラスに配布する。
3.各地方の識字クラス教師が配布されたものを参考に、各地方の言葉でポスターを作る。

 これらのケース以外にも「ハンドブック」は各国の識字教師等の人材育成用参考書として,「クリップアート」は教育出版物等の挿絵として,「教材キット」は環境や保健衛生などを扱う専門機関の参考教材としてなど,さまざまな用途が期待される。

お披露目前の好反響
 「クリップアート」と「キット」は今年3月に,「ハンドブック」は6月に完成した。3点セットは今年6月末の「ACCU識字事業企画会議」で19か国の参加者及びユネスコ代表に公開される。開発にあたり,できる限りの機会を捉え,地域内の専門家,現場教師,学習者にまで意見を聞き,改良・修正を加えてきたが,完成に至る前のドラフトの段階から3点セットの開発を知った人たちから反響があった。インド,ネパール,パキスタン,ベトナムでは,すでに「クリップアート」の自国語版開発に着手した。「ハンドブック」はバングラデシュ,インド,ネパール,パキスタンでの翻訳出版が決まった。「キット」はアフリカで活動するNGOから早々と送付要請があり,スペインで開催された「ユネスコ・世界青年の集い」ではユネスコの職員の目に止まり,ぜひアジアでの女性の地位向上プロジェクトに利用したいとの意向を受けた。
 まだ正式にお披露目する前のこの反響は,ACCUにとって実に有り難いことである。この20年間に培った教材開発のノウハウがアジア各国の村々に広がり,タイ北部の少数民族や多言語多文化国家であるインドなどで学ぶ6億の非識字者ひとりひとりが,オーダーメイドの教材を手にすることを夢見ている。

(識字協力課長 青柳 茂)
※これらの制作物はPALM(パーム):Package for developing Adult Learning Materials と名づけられ、2001年7月から実費で販売している。