

秩父屋台囃子の継承
秩父屋台囃子
埼玉県秩父市中村町
秩父屋台囃子は、山車牽引に合わせて演奏されるもので、埼玉県西部の山間部の秩父市を中心とした地域に伝承されている。その代表となるものは、秩父祭といわれる当地域の信仰を集めた秩父神社の冬季例大祭の山車で演奏されるものである。
国からは、昭和54年2月3日に「秩父祭の屋台行事と神楽」として、重要無形民俗文化財に指定され、日本を代表とする曳山祭として全国に知られている。この「秩父祭の屋台行事と神楽」を構成する無形文化遺産は、山車の曳行をはじめ、屋台囃子・屋台曳き踊り・屋台歌舞伎・神社神楽であり、これら伝統芸能が一体となって今日まで伝承されている。
屋台囃子は、祭礼当日、山車の内部で演奏され、外部から全くみることができない。しかし、方向転換や前進・後退、特に力を合わせる場面など、山車の運行に合わせてリズムを変えて演奏し、巨大な山車を曳く数百人の呼吸を揃え誘導する大切な役割を担っている。
これらの山車は、各々に屋台町会とよばれる保存会組織で運営を行っている。この屋台町会は6町会で、複数の自治会にまたいで作られている場合もあり、中心市街地や周辺住宅地とで各々事情が異なる。屋台囃子は、これら屋台町会ごとに伝承されており、使用する楽器の構成は、大太鼓1台・小太鼓3、4台・鉦1個・笛1本で、流儀や規模などは微妙に違いがある。
演奏のメンバーは、キャリア20年以上の30から40歳代が中心で、山車の規模・構造により15名から20名ほどが交代で演奏する。演奏には、楽譜など決まったものはなく、ベテランの演奏を聞きながら、練習を通して習得をしていく。屋台町の人々は、自分が子どもの頃より、大人や先輩達に世話になり、習得した技を後輩や子ども達に教えていくことが、恩返しになるという信念がある。このことが自然に住民の絆を強くし連帯感が生まれる。
屋台町会を構成する自治会の中村町と近戸町は、屋台囃子の正式な保存会として中近屋台囃子保存会を創設して、自治会との連携を強めた。地元では太鼓連と呼ばれている。中村町会は、屋台囃子の後継者育成のため、県の後継者育成事業補助制度の利用を申請し、市の補助金、地元負担金を併せ昭和60年(1985年)に太鼓練習場を建設した。さらに、町会の祭事予算で太鼓連に後継者育成計画の作成、実施を依頼した。太鼓連では、学童への継続的指導育成を決し、育成会、その他町会諸団体を巻き込み、年間を通しての練習計画表を基に練習生を募集した。
山車の収蔵庫での太鼓ならしは、場所が住宅地の中にあり、ならし以外の練習は不可能であったが、新太鼓練習場は、夜間の居住者が近隣に少なく年間を通しての練習が可能となった。はじめは、月1回の練習日としていたが、毎月3回に増加し午後6時より9時まで練習会を開催した。このように練習を続けてゆく中で練習生の技量は上がり、大祭が近づくと山車に乗れる証である半纏をもらうために、仲間同士で切磋琢磨し、練習に没頭した。
このような形式の進展に伴い、子どもたちの成長とともに、高校生が、中学生、小学生を、中学生が小学生を、それぞれ目上の者が年下の者の世話をするようになった。また年下の者も目上に対する礼儀、挨拶等子どもたちそれぞれに太鼓の技術とともに、精神面でも成長していった。
役員の交代も人材豊富なためスムースに行われ、技能修得者の数も多く、後継者も世代ごとに育ってきた。また太鼓連役員の中から町会役員となる者も現れ、補助金を受けて運営するのみでなく補助金交付段階から参画することとなった。