Asia Pacific Cultural Centre for UNESCO (ACCU)
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ACCU Prize
Shagiri Music Performed at the Nagahama-Hikiyama Festival

伝統芸能振興活動(プロジェクト)の名称

長浜曳山祭の保存伝承(ながはまひきやままつりのほぞんでんしょう)

対象となっている伝統芸能の名称

長浜曳山祭の囃子(ながはまひきやままつりのしゃぎり)

コミュニティ(市町村など)の所在

滋賀県長浜市

長浜曳山祭りの囃子について

長浜曳山祭は、羽柴(後の豊臣)秀吉が、長浜城主時代に太刀渡りという行列を復興したのが始まりで、その後行列に曳山(山車)が加わって現在行われる山車祭になったと考えられています。曳山については、男子誕生を喜んだ秀吉が町民に砂金を配り、それをもとに曳山をつくって祭に用いたと伝えられ、その舞台上で子ども狂言(歌舞伎)を演じる芸山となっています。曳山祭は1979年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

長浜曳山祭で行われる伝統芸能には子ども狂言(歌舞伎)と囃子があり、子ども狂言は18世紀半ばには移動舞台を持つ曳山の上で狂言が行われていたと考えられています。囃子は長浜曳山祭では「シャギリ」と呼ばれ、笛・太鼓・摺り鉦を用いて演奏されます。1792年の地誌には「しゃぎりをはやす」の記述があり、この頃には既に行われていました。

もともと、囃子は神霊を取り憑かせた依代を動かすためのものであり、長浜曳山祭においても、曳山に付くシャギリは曳山が動く際には必ず演奏されます。シャギリは単なる音楽ではなく、神の座を囃して動かすものです。長浜曳山祭で行われるシャギリには、このような意味から、曳山が動いている時に演奏する曲のほか、曳山の据え付け時、狂言の開始前と終了後、祭当日に関係者を起こしてまわる時など、それぞれの場面に応じて演奏する曲が伝わっています。現在はシャギリ方も狂言と同じく子どもが担当するようになり、このための稽古は各山組で子どもたちを集めて週1回から隔週で行われています。

長浜曳山祭の運営は、長浜市の中心市街地のなかの曳山を持つ町々で構成される「山組」が行っています。シャギリ方は山組の大人たちが担っていましたが、曳山を有する町々の他にも近郷近在の地域でシャギリを行うところがあり、曳山祭が行われるとそれら近在の人々も祭りに招かれ、シャギリを吹いていました。これらの長浜市を含む滋賀県東北部は「湖北シャギリ文化圏」といわれています。

過去に直面した問題について

日中戦争から太平洋戦争の間、曳山祭が中断し、シャギリ伝承の中核をなす大人の世代が出征したことにより伝承者が減少してしまいました。また、近隣地域から祭りに参加していたシャギリ方も、1960年代になると老齢化や後継者不足、兼業化による日程的な難しさから祭りに参加しなくなりました。一方、山組においては、シャギリを教える方法が符号や口伝という方法だったこともあり、伝承が難しくなってきました。また主体となる若衆も伝承する者が少なくなっていき、一部の曳山ではテープレコーダーによって音を流すという事態も起きてきました。

問題を乗り越えるために実施したプロジェクト

この芸能振興プロジェクトの中心となった長浜曳山祭囃子保存会は、長浜曳山祭のシャギリの保存と各山組に伝わる独自の曲の調査と後継者育成を目的に活動をはじめ、シャギリの五線譜による音符化、若衆への普及をはかり、地域に広く郷土芸能の振興を図っていくことを目指しています。

シャギリを保存伝承の動きは祭を行う地域の中から出ました。長浜には13の山組があり、その中の4つの山組の若衆たちが集まって囃子保存会を結成しました。これと同時に長浜西中学校の音楽教育の中でシャギリが取り上げられ、音楽教師により一部の曲が楽譜化されました。これをはじめとして、山組の音楽関係者によるシャギリ全曲の音符化がおこなわれるようになりました。

シャギリ伝承の中心は、かつては大人でしたが現在は子どもです。シャギリを教えることは、曳山祭を伝える基礎になることから、1976年からまず男の子を募集しました。その後、山組ごとの判断で女の子も加わって稽古が行われるようになりました。地域に祭りを有する小中学校においてもシャギリクラブができたり、音楽の授業に取り入れられたりして、シャギリがより子どもたちにとって身近なものになっていきました。さらに、囃子保存会が受け皿となり、曳山祭以外にも市内のイベントや祭りに出演することもあり、子どもたちの発表の場は増えました。

それまで口伝で行われていたシャギリを楽譜化したことで、伝承者の記憶が頼りだったシャギリを楽譜として後世に残せるようになりました。しかし、最大の要因はシャギリを子どもに教えたことにあります。シャギリは、従前は山組の大人が担っており、囃子保存会の当初の目標も山組の若衆に習ってもらうことでした。しかし、若衆は仕事が忙しくて時間がとれないうえに楽譜も苦手だったことから、後継者育成は進みませんでした。そんな中、県外の祭りで子どもが囃子をしているのを見て、習得の早い子どもに教えることを考えたのです。その結果、シャギリを覚える子どもが増え、シャギリ方がいない山に応援に行くことも出来るようになりました。

ビデオ


入賞プロジェクトの伝統芸能:長浜曳山祭の囃子

 

活動の様子(写真)