Asia Pacific Cultural Centre for UNESCO (ACCU)
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ACCU Prize
Nang Yai Performance, Thailand

伝統芸能振興活動(プロジェクト)の名称

ワット・カノン・コミュニティにおけるナン・ヤイの継続と活性化

対象となっている伝統芸能の名称

ナン・ヤイ(大型影絵人形劇)

コミュニティ(市町村など)の所在

タイ ラチャブリ県ポタラム地区(バンコクから南西に100km)

ナン・ヤイについて

ナン・ヤイ(大型影絵人形劇)は、タイで最も古い伝統的屋外娯楽であり、スコタイ王朝の時代(1257年-1357年)から存在していたと考えられている。これは、彫刻、舞踊、音楽、文学など多数の異なった芸術からなり、何世紀も前に成立したものなので、古代ヒンズー・仏教の儀式も取り入れられている。

人形は、隠者、ヒーロー、ヒロイン、巨人、猿、兵士、戦闘場面など、人形の性格によって形と装飾パターンは多様で、乾燥させた牛革から作られる。上演の際には、人形遣いが人形を高く揚げ、体を優雅に動かし、ピー・パート(タイの管弦楽)の音楽に合わせてステップを踏む。大きな白いスクリーンに活き活きとした影の動きを映し出すために、ココナツの殻を燃やしてこうこうと照明をあてるため、観客は美しい動き、音楽、詩、光と影のインスタレーションを楽しむことができるのだ。劇の主要な筋はヒンズーの叙事詩ラーマーヤナからとられている。

このプロジェクトは、前世紀にラチャブリ県の高僧ルアンプー・クロム(1847-1942)が建立したワット・カノン寺院のナン・ヤイ劇団に置かれている。

過去に直面した問題について

ナン・ヤイは昔宮中で生まれたとされているが、保存と活性化には一般の人々の力の方が大きかった。18世紀に起こったタイとミャンマーの間の大戦争の後、芸能は広範で深刻な打撃をこうむる。ラッタナコーシン時代になるころ、ナン・ヤイの活性化が図られたが、ナン・ヤイ劇団の大部分は王室劇団から貴族、寺院、村民など、一般の手に移ったのである。

ワット・カノンのナン・ヤイは、19世紀後半に、現代的な娯楽がタイに氾濫してから衰退した。近代経済、工業化、現代の生活様式の発展も、人々をナン・ヤイから離れさせ、第二次世界大戦が終結したころ、本格的なナン・ヤイの上演はなくなってしまった。
 ナン・ヤイの人形は古い建物でずさんに保管され、影絵人形の多くは、雨、ネズミによる食害、自然腐敗の結果、大きく損なわれてしまった。ワット・カノンの高僧を追悼して、コミュニティの人々はナン・ヤイ劇を上演したのだが、それも年に一度だけだった。
 その後、アヌチットという少年が、村人たちの新しい希望となった。彼は早くから人形遣いの修練を積み、現代の侵略者たちが繰り返して現れることに危惧を抱いていたアヌチットは、仏教の修行に身を捧げ、一生涯僧でいようと決心したのだった。過去に高僧たちが行なっていたことを受け継いで、ナン・ヤイ活性化への挑戦が始まったのだった。

この芸能の知識は、口承でのみ学ばれ、記憶され、実践され、受け継がれてきたため、総合的な再生を続けることのできる権威のある監督も人形遣いの名人もいなくなっていた。しかし、この価値を十分にわかっていた村の長老や、外部の人も含めた仏教僧たちが、活性化に協力したのだった。

問題を乗り越えるために実施したプロジェクト

ワット・カノンでのナン・ヤイ活性化は、次の三つの時期に分かれる。

  1. 研究プロジェクトの時期(1976年-1982年)
    2人の著名な研究者によって、フィールドワーク研究が行なわれた。ワット・カノン劇団の創設メンバーにインタビューを行い、文献データを収集した。またシラパコーン大学では影絵の作成と保存の手法を収集した。これらの調査の結果は、引き続く保護作業のための情報資源となっています。
  2. 1989年からの再建の時期
    1989年からマハ―・ チャクリ・シリントーン王女殿下の後援を受けて、このプロジェクトは大きく注目を集めた。このプロジェクトの主要な目的は、傷んだ影絵に代わる一連の新しい影絵を製作して、ワット・カノン劇団のナン・ヤイを保存することだった。また、多数の影絵コレクションを保管するために、ワット・カノンの敷地内にナン・ヤイ博物館も建設された。そしてタイ国立文化センターと国立文化委員会が協力して、100年以上前に作成されたワット・カノン影絵を用いた公演が、最善の照明技術を駆使して行われたのだった。
     ワット・カノンのナン・ヤイ再建には、タイの高等教育機関の協力も大きく貢献したことに触れるべきである。中でもチュラロンコーン大学は、1994年にワット・カノン・ナン・ヤイの特別事例研究による文化継承に関する公開会議を開催した。
     活性化の当初のターゲットグループは、初代劇団員の親戚であった地元の若者たちだったが、その後他の人々も対象となった。訓練は今でも、寺院を伝承の中心として利用する伝統的な形に従って行なわれている。これによって、ナン・ヤイのあらゆる面が強化され、タイ社会に普及した。
  3. 1991年から現在までの普及と継承の時期
    ナン・ヤイの予備的活性化の後、若きナン・ヤイ上演者たちは身につけた力を見せる準備が整った。当然ながら ワット・カノン寺院はよく知られた観光地となり、週末には上演と人形美術館を目当てに寺院を訪れる人の絶えることがない。若い人形遣いと音楽家は、舞台で演じて技量を見せるだけでなく、人形作りやダンスの練習などについての知識も披露する。地方政府からの資金と観光客の寄付に勇気付けられ、若い人形遣いは演技の質を維持しようと練習に励んでいる。
     ポタラム地区とラチャブリ県の学校は、ナン・ヤイ芸術を初等教育と中等教育のカリキュラムに組み入れた。また、タイのメディアは一般の興味を刺激しようと、ワット・カノンのニュースを定期的に取り上げている。若い人形遣いたちは地元だけでなく、タイ各地に活動の場を広げ、国際的にも、1993年に日本とドイツでの上演に招かれている。ワット・カノンはナン・ヤイを学ぶ重要な場所となり、このプロジェクトは若い世代を自分たちの優れた芸術と文化の大切さに気づかせた。加えて、ワット・カノンはラチャブリ県の有名な観光地となり、コミュニティの経済状況を改善したのだった。

ビデオ


入賞プロジェクトの伝統芸能:ナン・ヤイ

 

継承者へのインタビュー