Asia Pacific Cultural Centre for UNESCO (ACCU)
Asia-Pacific Database on Intangible Cultural Heritage (ICH)

トップ | コミュニティ事業 | 受賞コミュニティ
ACCU Prize
Sanbasomawashi (New Year's Performance)

伝統芸能振興活動(プロジェクト)の名称

阿波木偶「三番叟まわし」伝承保存活動

対象となっている伝統芸能の名称

三番叟まわし

コミュニティ(市町村など)の所在

徳島市(とくしまし)、石井町(いしいちょう)、上板町(かみいたちょう)、美馬市(みまし)、東みよし(ひがしみよし)町(ちょう)、三好市(みよしし)、
阿波木偶箱廻しを復活する会の会員、芝原生活文化研究所、特定非営利活動法人、阿波の門付け芸保存会

三番叟について

「三番叟まわし」は、ふたつの木箱(山間部では柳行李で運ぶ場合もある)に三番叟(千歳(せんざい)・翁(おきな)・三番叟(さんばそう))とえびすの四体の木偶を入れ、木偶遣いと鼓打ちの二人が正月に家々を門付けする祝福芸です。「三番叟まわし」は、「式三番叟」と「えびす舞」を連続させた内容です。「荒神」に御幣を供えた後、三番叟とえびすの木偶四体を操り「五穀豊穣」「無病息災」「家内安全」や「商売繁盛」を予祝し、新しい年を迎えた人びとに一年間の明るい展望を与えました。

三番叟まわし芸人の存在は、江戸時代まで遡れますが、兵庫県の淡路島において育まれた木偶操り(傀儡)の芸能を源流に持ちます。2003年にユネスコが人類の口承及び無形遺産の傑作であると宣言した「文楽」と源流を同じくします。「三番叟まわし」は、木偶を一人で操りながら語ります。三人操りである「文楽」以前の芸能形態を持ち、古い歴史を持つことが窺えます。

過去に直面した問題について

徳島県の正月儀礼として定着してきた「三番叟まわし」は、香川県や愛媛県にも広く定着し、江戸期から昭和期にかけて、四国の正月に欠かせない祝福芸となりました。三番叟まわし芸人は、門付け先を決まった日時に回壇したので、正月儀礼・習俗として永く定着したと考えられます。しかし、経済の高度成長期を境に芸人は次々と廃業し、1960年代後半には多くの街角から姿を消しました。1970年代には、三番叟まわし芸人が激減し、中山間地や農村の一部でしか見ることができなくなりました。

衰退の原因を語るには、芸人の側と迎える側の二面から検証しなければなりません。
前者は、著しい経済成長期の諸要因により、次世代へ技術と門付け先を伝承することが困難でした。子や孫は「金の卵」といわれ、京阪神の労働者となりました。また、社会全体の正月儀礼の変化や信仰の変質に伴い、市街地から門付け先が激減していきました。芸人の高齢化も重なり、次第と姿を消すに至ったのです。また、「三番叟まわし」芸人に向けられた賤視も大きな要因でした。

後者は、商売や営農の急激な変化(機械化・離農など)が一番に挙げられます。また、過疎化や核家族化が進むことにより起こる地域コミュニティの変化が、習俗や正月儀礼の伝承を困難にしていきました。また、三番叟を迎える習俗や正月儀礼を継承したいと願っても、芸人の数が激減してしまった関係で、「三番叟まわし」の来訪を望めなかった一面もあります。

問題を乗り越えるために実施したプロジェクト

徳島県における多様な芸能などの調査研究を行っている辻本一英が、姿を消した「えびすまわし」や「三番叟まわし」を復活継承しようと「阿波木偶『三番叟』『えびす舞』を復活する会」(現在は「阿波木偶箱廻しを復活する会」と改称)を組織して、「三番叟まわし」の技術伝承と門付けの継承にとり組みました。1995年に現役の三番叟まわし芸人(東みよし町、2001年に引退、2002年没)と出会い、聞き取り調査を重ね、1999年に中内正子が弟子入りして門付けに同行し技術を学びました。2001年に門付け芸人が廃業した後、鼓打ちとして門付けに同行した中内正子が、阿波木偶箱廻しを復活する会のメンバーと芸人の門付け先の一部を受け継いで伝承しています。

ビデオ


入賞プロジェクトの伝統芸能:三番叟まわし

 

活動の様子(写真)