

コングシのワルバ・レルウェンデ舞踊団による伝統的なワルバダンスの再興
ワルバ・ダンス
ブルキナ・ファソ、バム県、コングシ市、ヤドセ地区、モシ族
ワルバはブルキナ・ファソのモシ高原に伝わるダンスです。ワルバコミュニティーに属するコングシの町にとって、このダンスは風習の一部として定着しています。ワルバは、伝統の祭礼、葬儀、慣習法による首領の就任式、啓蒙運動の集会など、モシコミュニティーのあらゆるイベントの際に不可欠な踊りです。
ワルバは、腰を早く回しながら踊るのが特徴です。衣装は特徴的で、綿素材を編んだフレア状の腰蓑に鈴がついたものを腰の位置でベルト状に留めます。踊り手の頭を飾るのは、土地の伝統手法に則って作られた帽子です。帽子の素材としては、動物の皮革、貝殻、綿などが使われます。踊り手は左手に動物の尻尾を一本、右手に鈴を一つ持ちます。足にも鈴を二つつけます。衣装の主な素材は綿布です。そして首には動物の皮革とタカラガイで作られた首飾りを下げます。踊り手の人数に限りはありません。伴奏の楽器は最低二つのタムタム太鼓、二つのタンブール太鼓、そして一本の横笛です。タムタムの原材料は瓢箪と家畜の皮です。タンブール太鼓は金属製の大きな箱を再利用し、これに皮を張ったものです。鼓手と踊り手では衣装が異なります。鼓手の衣装は地元で織られた綿布を使った上下の組み合わせです。
実際のパフォーマンスの場面には、鼓手複数と笛奏者一名からなる楽師たちと踊り手たちの二つのグループが登場します。ワルバは力強い踊りでアクロバティックなところもあります。リズミカルであるのも特徴で、我々の郷土では今のところ36種のステップが知られています。ワルバを踊るには、ステップを習得しなければならいうえ、タムタムとタンブールの音を理解することが特に求められます。
2003年4月25日以前、私たちのコミュニティでワルバを踊ることは稀でした。キウグ、パコデといった伝統の祭事はクリスマスや復活祭の前に影を薄くしていました。首領就任式が執り行われることも稀になり、加えてキリスト教の司祭やイスラム教のイマーム(指導者)たちは人が亡くなった時や葬儀の際に死者と踊ることを禁止しました。こうした慣習をキリスト教もイスラム教もアニミズムだと断じたからです。コミュニティは現代のダンスを受け入れ、伝統的な踊りを放棄しました。人々はカセットの音楽に合わせて踊るようになり、ワルバ・ダンスは廃(すた)れ、価値が低いものとみなされました。若者たちはワルバを過去の遺物と考え、賑(にぎ)やかで魅力的な飲食店で集うことを好みました。ワルバは死にかけていました。
コングシのワルバ・レルウェンデ舞踊団は2003年4月25日に結成されました。まずは、ワルバ・ダンスが直面している問題を解決する必要がありました。資金集めはもとより、教会やモスクにワルバ・ダンスを認めてもらう必要がありました。また、舞踊団のためにそれなりの衣装と適切な用具を整えねばならなりませんでした。コングシの各地区には文化連絡員が存在しなかったことは舞踊団に関する情報の伝達を困難にし、舞踊団の運営に障害となりました。
幸いなことにコングシには、あらゆる年齢、職業の人々が集まる酒場がありました。死者と踊り、タムタム太鼓の音に合わせて故人を墓所まで送る慣習は、立派な家父長なら誰しも自分の葬儀に欠かせないものだと思っていましたが、これらが禁止されて以来、人々は事あるごとに復活を願って話題にしていました。こうした声が、各方面で活躍しているコングシ出身者たちの耳に届き、彼らはワルバ・ダンスとその将来を中心テーマとする集会の開催を住民に呼びかけました。コミュニティの結束を呼びかけるこうした動きは、“時間とともに失われつつある地元の文化遺産を守りたい”という願いをモチベーションとしていました。この願いには、愛国心とモシコミュニティーへの郷土愛、誇ることができるコミュニティの一員であるという自負が入り混じっていました。
このプロジェクトが日の目を見たのは、大衆を対象とした啓蒙活動などの公式イベントにワルバ・ダンスが華を添えるのを再び見たい、とコングシの人々が望んだからです。コングシのワルバ・レルウェンデ舞踊団は2003年4月25日、バム県のコングシで開催された総会によって設立されました。この集会はコングシ各地区の年長者、およびウアガドゥグーやボボ・ディウラソに居住しているコングシ出身者の呼び掛けで実現しました。老若男女が参加したこの総会は全会一致でコングシを代表する舞踊団の結成を決めました。集会参加者たちは同一コミュニティに生まれ育った人々であり、同一の文化遺産を共有していたため、自分たちが誇る文化であるダンスの衰退に異議を唱え、プロジェクトは立ち上がりました。